僕が生きている間にこんな時代が来るとは夢にも思わなかったのですが
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日本人選手が海外に多数出る時代になってしまいました。
コロナで無暗に外出することもままならない無職年寄りニートにとって、日本人選手が海外で活躍するのを観ることが唯一の楽しみになっているわけですが、
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だからと言って日本人選手が出場する試合をすべて観ているのかというとそうではありません。
僕が観たいのは
前目の選手が出場するゲーム。
だって、得点に日本人選手が絡んでるシーンを観たいじゃないですか。
だからいくらセリエAで冨安が活躍しようとも、麻也が頑張ろうが、
あるいは左右両サイドバックが日本人選手でも、
イタリアとかフランスの試合はほとんど観ないのです。
だって後ろの選手しかいないから。
そんな中、後ろ目の選手なんだけど一つだけ楽しみにしているチームがあります。
それは、遠藤航のいるシュツットガルトです。
遠藤一人だけ観てても楽しいのです。
今節の対MG戦でも、危険な場所にはほとんど顔を出してました。
でも、守備だけではありません。
常に縦への展開の可能性を探しながら、隙あらば前線に鋭いクサビのボールも入れるし、時にはゴール前まで行ってシュートも打ってます。
さらに、終盤にはCBまでやってました。
存在感抜群なのです。
遠藤について海外の人たちの声でよく聞くのは、
こんな優秀な選手が何故これまでスカウトたちのレーダーに引っかからなかったのか
ということです。
まあ、スカウトたちに、いわゆる「見る目」がなかったんじゃないでしょうか。
「見る目」。
難しいです。
中村俊輔や本田圭佑もユースに上がれなかったし、
中村憲剛もプロになるときに、アントラーズの鈴木強化部長が獲ろうとしたけど、
あんな線が細いやつはいらーん
と取締役会で反対されたらしいし、
岡崎がシュツットガルトからマインツに行く時も
あんな選手を獲ってなんの役に立つんだ
という反対の声があったらしいし、
そんな話はサッカー界にはおそらく幾千もあるのだろうと思うのですが
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さて、ベルギーの弱小チームのシント=トロイデンから遠藤航をスカウトしたのが、シュツットガルトのゲームではいつもスタンドからマスクをしてゲームを観ているこのヒト。
シュツットガルトのスポーツディレクターのミスリンタートさんです。
人呼んで
ダイヤモンドアイ。
ダイヤモンドの目を持つオトコです。
かっけー。
ミスリンタートさんはかつてはクロップ時代のドルトムントにいて、若き日のレヴァンドフスキー(バイエルン)やフンメルス(ドルトムント)などを見出したのですが、
遥か彼方の日出る国、サッカー後進国の日本の2部チームで活躍していた香川真司も4000万円という破格の値段でドイツに連れてきました。
*移籍した時点ではセレッソ大阪は1部に昇格していた。
まあ、なんというダイヤモンドな目なんでしょうか。
このダイヤモンドの目によって香川真司のサッカー人生は大きく変わったわけですが
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しかし、それよりも前に香川に目を付けたチームがあります。
でも、残念ながらダイヤモンドの目がなかったばっかりに大魚を逃してしまったのです。
本田圭祐や吉田麻也らが所属したオランダのVVVフェンロです。
あれは2012年の8月1日のイギリスのコヴェントリーでのことです。
ロンドン五輪の日本×ホンジュラス戦を観終わり、スタジアム(リコー・アリーナ)の外で応援服から着替えていると、一人の外人オヤジが
どーだ、麻也はいいだろう
話しかけてきました。
(注)吉田麻也はオーバーエイジ枠で出場していた。
それが、VVVフェンロのオーナーにして会長のハイ・ベルデンだったのです。
自分のチームの選手を同じ日本人に自慢したかったんでしょうね。
そして、ホテルに戻るとベルデン会長がヒマそうにウロウロしてるじゃないですか。
どうやら同じホテルだったようです。
しょーがねえなあ、ヒマな老人の相手でもしてやっか
と、
会長、ビールでも飲みませんか。ごちそうしますぜ。
と誘い、ホテルのバーで飲み始めたのですが
・・・
ベルデンがこう言うのです。
オレはドルトムントの前に「香川真司を獲れ」って言ったのにファンダイクが断ったんだよ。まったく見る目がないヤツだよな
と。
(注1)ヤン・ファン・ダイク:当時のフェンロの監督
(注2)その時には香川はドルトムントからMユナイテッドへの移籍が決まっていた時だった。
ちなみに、この5か月後の2012年12月24日にこんな記事がNETで出ていました。
真偽は定かではないが、
と書いてあるけど会長から直接聞いてたんで真実ですぜ。
もしファンダイクにダイヤモンドほどではなくてもサファイヤほどの目があったら、
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香川真司のサッカー人生も違うものになっていただろうし、他の何人かの日本人選手のサッカー人生も変わっていたのかもしれません。
別れ際に、
いい選手がいたら連絡クダサーイ
といって名刺をくれたので、
田中碧(川崎)でも推薦してやっか
とも思ったのですが
・・・
ベルデンは3年前に会長職を勇退していたのでした。
<追記>
オマエは平山でさえも習得できなかったオランダ語をぺらぺーらと話せるか、すげーな
と尊敬の念を抱いた方もいらっしゃるのではないかと思いますが
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ベルデン会長の側には常にFIFA公認代理人の清岡哲朗さんがマンマークで張り付いて通訳してくれていたのでした。
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